生殖補助医療法成立の一方で広がる不安~子どもの権利保障について考える~

「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律案」の成立後の施策に関する質問主意書

提出議員 : 阿部 知子

生殖補助医療によって、第三者から精子や卵子の提供を受けて子どもを授かった場合の親子関係を定める生殖補助医療法案。以前から優生思想に繋がりかねない表現があるとして、日本弁護士連合会などから条文の一部に疑問の声が寄せられていました。しかしながら、法案は修正されず成立しています。

立憲民主党の阿部衆議院議員も、条文に疑問を抱く一人で、採決に反対していました。阿部議員は、

  • 法案が与野党による共同提案であること

  • すでに参議院で法案が通過していたこと

を踏まえ、条文の削除や修正ではなく、法案成立後の施策を問う質問主意書を提出しました。

また、この他にも本法案に関する懸念がいくつも指摘されています。この法律の成立によって起こりうる危険や、検討すべき課題についてわかりやすく解説していきます。


条文の表現によって危惧されていることとは

問題となっているのは、生殖補助医療法第三条第四項の「生殖補助医療により生まれる子については、心身ともに健やかに生まれ、かつ、育つことができるよう必要な配慮がなされるものとする」という条文です。一見、なんの問題もないように思えます。しかし、「心身ともに健やかに生まれ」という文言に注目してみると、障がいや病気を持って生まれる子どもの存在を否定しているようにも解釈できます。

また現在、出生前診断などを通じて、生まれる前の子どもの状態を把握できることを踏まえると、「障がい児だと分かれば、中絶しましょう」と捉えることもできます。もちろん立案者は、このようなことを意図して条文を定めたわけではないでしょう。ただ、結果として命の選別を受容するかのような文言を法律に定めてしまったのです。

しかし、このような懸念にもかかわらず法案は成立。それでも阿部議員が、この法律に立ち向かうのには、日本の障がい者政策における負の歴史を繰り返したくないという思いがあるからでしょう。

負の歴史とは、1948年から約50年間に渡って存在した優生保護法※(1948~1996)に基づく、障がい者などを対象にした強制不妊手術です。不妊手術を余儀なくされた人は約2万5千人ともいわれています。

※優生保護法:不良な遺伝子は排除しても構わないという優生思想に基づき、障がい者や精神疾患の患者らに強制不妊手術をすることを定めていた法律。1948年から96年まで存在していた。2019年4月24日、政府は公式に非を認め、犠牲者に対し謝罪及び救済法を制定している。

優生保護法の条文には「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」とありました。今回問題となっている条文には、“不良な遺伝子を排除する”などの直接的な表現はないものの、解釈次第では優生保護法のもとで起こった、同じような障がい者施策を容認していることになるのです。


子どもの権利についての議論は置き去りに

阿部議員はまず、過去の優生思想的な政策を繰り返さないため、政府がどのような施策を行ってきたのか質問しました。問題の文言がそのまま残った生殖補助医療法が成立した現在、今後起こりうるリスクに政府がどう対応していくのか考えるうえで、一つの基準になるでしょう。

質問
「心身ともに健やかに生まれ」という文言は、障害を持って生まれる子どもの生存を否定しかねないのではないか。優生政策を繰り返さないために、どのような施策を行ってきたのか。

答弁
「全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものである。」という理念に基づき、フォーラム開催等の普及活動を行っている。また、市町村等が住民に対して行う、障がい者支援に関する啓もう活動を実施する場合、要する費用の一部を補助している。

政府はこれまで、障がいや病気の有無にかかわらず、全ての国民の人権が尊重されるべきであるという考えを普及するための取り組みを行ってきたようです。過去、優生思想の雰囲気を作り上げた政府自身が主導となって、社会全体の意識改革を図るためには、このような地道な啓もう活動が非常に重要でしょう。

しかし、生殖補助医療法の条文によって起こりうる事態に対応するためにはこれだけでは不十分でしょう。どんなに社会全体の雰囲気が変わっても、条文で言う「生まれる子」の権利保障が認められない限り、優生思想的な事態は起こりうるからです。

現在、内閣法制局は権利の主体について

憲法が保障しているのは現在生きている人のみ。よって胎児は権利の主体ではない。ただ、胎児は将来的に人権の主体になることから、存在を保護し、尊重する対象である。

という見解を示しています。憲法は胎児を権利の対象として保証していないものの、保護、尊重される対象であるというなんとも曖昧な見解です。

では、条文の「生まれる子」は一体どのような位置づけなのでしょうか。阿部議員は質問しています。

質問
「生まれる子」の定義を、政府としてどのように考えているか。「生まれる子」を「必要な配慮」の対象とすると、この場合はまさに「生まれる子」は権利能力の対象になると考えられるが、政府の見解は何か。

答弁
議員立法であり、「生まれる子」の定義についての規定、定まった解釈はないと承知しているため、回答は困難である。立案者によると、「権利とは規定をせず、生まれる子については必要な配慮がなされると規定をしたものである」との説明がなされている。

政府によると「生まれる子」とはつまり、人権はないものの、「必要な配慮」の対象となる存在だということです。内閣法制局による、胎児の権利に関する見解と同様、「生まれる子」についてもやはりグレーな回答です。

しかしながら、単に「生まれる子」の人権を認めればいいというわけではないのが、この問題の難しいところです。「中絶」という女性が「生まない権利」も大切しなければならないからです。ただ、生命倫理の問題に関わる重要なポイントを慎重に議論せず、整備が不十分なまま足早に法案が成立してしまったことは芳しくないでしょう。

また、本法案が議員立法であることを盾に、政府が責任を立法府に丸投げしている印象も否めません。議員立法だとしても、実際に施策の運用を担うのは行政府です。政府自身の見解を明らかにしても良かったのではないでしょうか。


諸外国と比べ遅れている「子が出自を知る権利」

生殖補助医療法によって生まれてくる子どもの権利に関する議論が置き去りになったことで、懸念されている問題が他にもあります。それは、「生殖補助医療によって生まれた子どもが自分の出自を知る権利」が盛り込まれていないことです。

日本での精子提供の歴史は古く、70年以上前にも遡ります。第三者の精子提供による出産第1号は1949年8月で、1983年には国内初の体外受精児も誕生しています。生殖補助医療で生まれた子の数は年々増加しており、日本産婦人科学会によると2018年には56,979人が生まれています。実に16人に1人が生殖補助医療で生まれてきている計算になります。

長年にわたり、多くの子どもたちが生殖補助医療で誕生しているにもかかわらず、生物学的な親を知りたいと思う子供の「出自を知る権利」についての議論は先送りされているのです。

世界的に見るとヨーロッパを中心に、「子どもが出自を知る権利」が認められ、そのための法整備がなされている国は多いようです。

中でも、福祉国家と呼ばれるスウェーデンは1984年、精子バンクを利用して生まれてきた子どもが、生物学的父に連絡を取る権利を世界で初めて法律で定めました。これにより、病院は精子提供者のカルテを70年間保管することが義務化され、子供が将来開示請求をした際に対応できるようになりました。開示するまでのプロセス(請求方法、相談先、開示請求する子どもは18歳以下でも可など)も明確化されています。

また、ドイツ、英国、スイス、オランダ、オーストリア、アイスランドなどでも「匿名ドナー」による精子提供を法律で禁止しており、生殖補助医療によって生まれた子どもが自分の出自を知る機会を提供できるよう整備が行われています。

日本では現在、ドナーに関する情報の保存期間やドナーが匿名か否かは、それぞれの医療機関の判断にゆだねられています。精子や卵子提供などを受け生まれてくる子が、将来、出自を知る権利を行使したくても、ドナーのデータがなければ生物学的親を知ることは困難です。出自を知る権利を認めるのであれば、ドナー情報に関するルールを一本化するなど、検討すべきことは多々あるでしょう。


課題を解決するために必要なこととは

子を望む人にとっては、待望の「生殖補助医療法」でしたが、駆け足で成立したこともあり、課題は多いです。日本には生命倫理に関わる基本法がないため、生まれる子どもの権利についてはより慎重な議論が必要だったはずです。立法過程でどこまで議論されたのか気になるところです。

また、生殖補助医療法の成立に後押しされ、生殖補助医療によって生まれる子どもが今後も増え続けていくことを考えると、子が出自を知る権利だけでなく、自分の出生についてオープンに話し合える社会全体の環境づくりも重要なのではないでしょうか。

ヨーロッパでは、子どもにはできるだけ早いうちに告知する方がいいと考えられています。事実を伝えそのうえで親が愛情を注ぎ続けることが、長期的に見て子供の成育に良い影響を与えるであろうと広く周知されているからです。養子の場合も子供が悩む必要がないように、あえて人種の違う子を迎え入れることも社会に浸透しており、同姓カップルが子供を育てていることも珍しくありません。

どのように生まれようが、障害があろうが、子どもには幸せになる権利があり、社会はこれを尊重すべきでしょう。レプログとしても、生殖補助医療法の今後に注目していきたいです。


参考リンク
「出自を知る権利」に関し、どのような制度設計が望ましいのか 日比野由利
福祉国家の優生学-スウェーデンの強制不妊手術と日本- 市野川容孝


@もも

2021/06/06

条文の定義については、子供を出来る限りいい環境で育てるための表現だと思うので、個人的には特におかしいとは思いませんでした。「子どもが出自を知る権利」については、実際にドナーから生まれた人などの意見も取り入れつつ、どうしていくかを前向きに検討していくべきだと思います。

@m_kmtm@0101

2021/03/12

出生前診断は、診断を受けて産まないことを選択する人、覚悟を持ってうむ人、それぞれ居てどちらも間違っていないと思う。あいまいな条文も人によって捉え方は色々。答えが出ない問題だと思う。

@ichi369

2021/01/19

条文に含まれるあいまいな表現は、後に誤解を生んだり、曲解される可能性があるため、できるだけ明確にしてもらいたい。また、生まれる子の権利については、行使するかどうかを選択できるような制度を設けてもらいたい。

 詳細情報

質問主意書名 :「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律案」の成立後の施策に関する質問主意書 
提出先 :衆議院
提出国会回次 :203
提出番号 :83
提出日 :2021年12月4日
転送日 :2020年12月4日
答弁書受領日 :2020年12月11日

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